見たいものしか見ない
以前仕事で、市のあるモデル事業をしました。
事業が終わったらアンケートをとって集計し、それを見て
これだけ嫌がる人がいるから継続するべきじゃないわね。
と私は思った。ところが、同じ資料を見ていたある人は
「これだけ好評だから、続けなきゃならないでしょう。」
と言うので、私はその人を二度見してしまった。同じ物見てるのに全く逆の感想で。
私は、この事業を継続したらおそらく自分が大変になるなと思ったので、やりたくなかった。
だから、自分にとって都合の良いネガティブなアンケート結果の方に目がいってしまう。
ある人の方は、この事業を継続し発展させたかったから、ポジティブなアンケート結果の方に目がいった。
同じデータを見ても感想が人によって違ってしまうのは、そこには個人のそうあって欲しいという望みのようなものが反映されるのですね。
東京の本日のコロナ陽性者…とかニュースで出るけど、同じ数字を見せられても
重症者数、死者数を着目している人
新規陽性者数に着目する人
で評価が全く違くなる。目指すものが違うから、それに都合の良い数字の方に目が行くんだな。
見たいものしか見ないという習性。
五輪にしても。
我が家の中ですら夫は開催反対で、そのために必要な状況とか数字とかに目が行っていたし、私は賛成だからポジティブな情報や数字に目が行ってたし。
だけど始まったら夫も、ハラハラしながら試合を見るし日本選手がメダルを取れば拍手喝采してる。
こういう事だよ。よっしゃー!ってなるじゃん。
足りなかったのはそういうとこだと思うんだ。
スポーツに興味がない人は嗜好だし、それはそれでいいのだ。
そうじゃなくて、今もなお密になり大声で反対デモやってる人や「今からでも中止」とか発言してる人たち。
この人たちはコロナがあろうがなかろうが、元々反対だった特殊な人たちなんだよね。
きっと見てるもの見たいものが違う、こうあって欲しいものが違うんだなぁと思います。
その人たちと見てるものが違う私は、力の入る国際試合がこんなに見れて楽しいです。
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