夢のあと
去年か一昨日くらいにNHK『ブラタモリ』で見た一乗谷朝倉氏遺跡。
こんな所があるのかと福井でもう一つ、どうしても行きたかった場所でした。
応仁の乱での活躍をきっかけに朝倉孝景は、守護斯波氏や守護代甲斐氏を追放、越前を押領し、守護職に就くと同時により軍事環境に適した一乗谷に本拠を移しました。
文明3年(1471年)以後孝景→氏景→貞景→孝景→義景と五代103年に わたって越前を支配。京の文化を積極的にとり入れ北陸の小京都とも呼ぶべき城 下町を築きながら、みやびやかな文化の華を咲かせました。
しかし、その繁栄も五代・義景が「刀祢(とね)の戦い」で信長に破れ、陣を建 て直すため大野に逃れましたが、一族・朝倉景鏡の裏切りにあい自害。一乗谷は 天正元年(1573年)8月17日信長勢によって火を放たれ、朝倉氏の城下町 は三日三晩燃えつづけた後、地中深く眠りにつきその栄華の永い歴史を閉じました。
そしてこの時から信長から越前を任された柴田勝家は国府を北ノ庄(現在の福井 市中心部)に構え、一乗谷は歴史から忘れ去られていきました。
昭和42年に発掘調査が始まって、館や武家屋敷、町人の街並みの遺跡がほぼ完全な形で出てきたなんて、こりゃもうロマンですね。
ここがかつては越前の一大都市だったとは思えないほどのどかな場所になったのは、何もかも燃え尽くされ完全に消されたってことよね。
一乗谷の寺社や商工業者は越前の新たな拠点北ノ庄に移り、かつての北陸の小京都が田畑に造成され農村へ変わって行ったんだなぁ。
シンボルの朝倉館跡 唐門は夏草に覆われ寂しそう。朝倉の夢のあとに人の儚さを感じ、少しおセンチになりました。
復元された200mに渡る街並みに少しばかりタイムスリップ。
歩いていると、風鈴の音がしてきました。
インスタ映えスポットです。
若いカップルが何度もポーズを変えながら、
「いいね、可愛いね、OK」
と撮影会か⁉︎ってくらい写真を撮っていました。それを微笑ましく見ていたけど、余りの長さに
何枚撮っても変わらんわっ
口にはしないけど、黒い方の私が顔を出してしまった💦
おばちゃんはものの30秒で終わるんだからね。
とてもよかったけど、たぶんここは華やかで儚い桜が咲く春に来るのが正しいと思うのでした。
ポチっとお願いします
励みになります
↓↓