飛騨高山へGO!ついでにポケモンGO!
「100キロ以上離れた場所に行くぞ!」
と言う夫からの提案。
何故か?
ポケモンGOをやっているのだけど、互いのポケモンを交換するときに、100キロ以上離れてると何かしらのお得があるんだとか。
なお行き先は私が決めて良いとのことで
飛騨高山へGOとなりました。
岐阜県へ足を踏み入れるのは2度目。
10年位前に家族で岐阜愛知の旅で、飛騨牛を食べようと高山へ着くと、
何ですか⁉︎ここの通りは!
古い街並みを目にして、テンションが上がってしまいました。
しかし、既に夕方で店じまいの時間だったこと、私以外誰も興味を示さなかったことで足早に通り過ぎ、長年心残りでした。
飛騨高山といえば、『さるぼぼ』しか知らなくて、もっと調べておけばよかったと残念でした。
今回は満を侍してです。
古い街並みを散策しながら、いいタイミングで出会えた人力車に乗るとハイカラさん気分。
それも貴重で楽しかったし、最近はこうしたガイドがあった方が興味深く見れて良いなと思うようになりました。
江戸時代の面影を残して現存している街並み。どうしてこんなに大規模で保存できていたんだろうと思っていたけど、大火がなかったからだとか。すごい危機管理だ。
秀吉の家来であった金森長近(かなもりながちか)によって、城の建設と同時に京都を習った城下町の整備を行い、城を取り囲むように高台を武家地、一段低いところを町人の町、東側の山裾には寺社を移築・建立しました。
関ヶ原の合戦は東軍につきましたが、元禄5年(1692年)突然、出羽国上ノ山(でわのくにかみのやま)(現在の山形県上山市)に国替えとなって、金森氏による6代107年の政治は終わりました。
金森氏が国替えされた後の飛騨は幕府直轄地となりました。
訪れた『高山陣屋』でガイドさんからの説明を聴きながら、金森さんせっかく国づくりをしたのに気の毒だなぁ、なんて思ったり。
「天領にしたってことは、何か欲しい物があったってことですか?」
と尋ねると、豊富な木材や鉱物だったとか。
上杉家も山形の米沢へやらされたし、山形って左遷先なのかしら。
コロナ禍で最初の5分程度サラッと簡単なガイドとのことだったけど、こっちも興味津々なのと平日で空いていたので、ガイドさんも乗ってきて時間オーバーして説明してくれました。
そして驚いたのは、ここの陣屋跡は昭和40年代半ばまで県事務所と使用されていたこと!
こんな和室だらけなのに⁉︎と思ってしまいました。
梅雨時なので雨は覚悟していましたが、降らない!そういえば人力車の車夫さんが
「高山の天気予報は当たらない。」
とおっしゃってたけど、むしろ日差しで暑く良い方に当たらずラッキーでした。
たくさん歩いたので『カフェかつて』さんで、わらび餅と冷たいほうじ茶をいだだきながらひと休み。
ポケモンGOのおかげで、思いがけず高山へ来れて心残りだったものを吹き飛ばせました。高山産のポケモンもいっぱいGetしました。
まぁ100キロならここまで来なくてもクリアだったんだけど、それはそれで。
さぁ次は夕食、お楽しみの飛騨牛だーー
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