祖母がいなくなった夏
36年前の夏、突然祖母が居なくなった。
前日、高校のクラスで泊まりで海に行くのに
「行ってきまーす!」
と言ったのが最後。
「ただいま」
って言っても返事がなく。
家の中には近所の人たちが集まっていて、その中心で母が興奮気味に祖母がいなくなった朝のことを説明していた。
そーっと自分の部屋に入って、その後の事は覚えてないけど、夕飯が出前の冷やし中華だったのは覚えている。
それから毎日、親戚縁者が集まり、リビングには麦茶の入ったジャグが置かれ、食事は母の実家が割烹をしていたので、そこから毎日おにぎりと焼き魚が届いて、お腹が空いたら各自それを食べていた。
大人たちはラジオ局や占い師の所へ行ったり、何か情報が入れば捜索に出たりと忙しいそうで、私はせいぜい自転車に乗って、昔祖母と出かけた神社だとか、そんな所をそっと探しに行っていた。
そして4日目の早朝、電話が鳴る。祖母が少し離れた用水路で見つかったという知らせだった。
痩せて小さな祖母が、大きくなってしまうほど変わり果てていたらしく、また夏でしたしね。
だからか、女、子どもにはとても見せられないと言われ、見ることはなかった。
毎朝の日課だった散歩中に、
「暑さで頭がおかしくなって用水路に入ったんだろう。」
と大人たちは言いました。
その日、散歩中にすれ違ったという人が
「おはようございます、って言っても返事もなく前だけ見て、おっかない顔して歩いていた。あの時、もっと声かければ…」
と泣き、おそらくここから入水したと思われる場所近くに住む人も
「誰か通ればわかるはずなのに、どうして… あの日らわからなかったんだか…」
と泣き。
「もう死神が取り憑いていたんだよ。」
そうやって慰めてあっていた。
8月に入ってすぐの頃、私は
「また、足の爪を切ってね。」
と祖母に頼まれていて、
「うん。」
と言いつつ、4泊5日の部活の合宿があったり、海に行ったりで家に居なかったから、とうとう爪を切ってあげられなかった。
あの頃、時々尿漏れするようになって、今のように明るく「尿漏れパット」のCMもなかったから、どうしようかと不安だったのかもしれない。そんな事を考えながら散歩してたら、死神に出会ってしまったのかなぁ。
8月12日、日航機墜落事故から36年。祖母が見つかった日でもある。
あの映像を見る度に、祖母の居なくなったあの夏を思い出す。
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