悲しいのに幸せだった父の葬儀
父が亡くなって今日で1年になります。
夏の終わりから、去年の今頃は…と思い出していました。1年とは早いものです。
葬儀の後の御斎で、父の60年来の友人の方とお話しをしました。
「貴方に昔会ったことがありますよ。お父さんがまだ小さかった貴方を連れて遊びに来てね、庭で苺つみをしてたなぁ。」
もちろん、私にはその記憶はないのだけど、若い父がお出掛け好きだった私を連れて、友人の家を訪ねていた姿を想像して、何だか微笑ましく思いました。
その方のことは、年賀状でお名前だけは知っていましたが、実際に本人に会えたのが父の葬儀でした。
そんな風に、私の知らない父の顔をいろんな人から聞くことができ、また、友人の方や近所の方にこれまでお世話になったお礼を言いながら、
葬儀って、こういう事なんじゃないのかな
と思いました。
結婚してから、夫の祖母、両親が次々と亡くなり、遺族が一番悲しいのにどうしてこんなに忙しくしなくちゃいけないんだろう、と思って憤慨していたの。
亡くなる年齢にもよるんだろうけど、悲しみにふける間もなく次々とやる事が多くて、親戚は直ぐにやって来てもお客様で、義父や夫を見ていて気の毒になりました。
だけど、もし今自分が死んだとしたら、これまでお世話になった人に、ありがとうと言いたい。
でも、死んでしまったらそれができないから、代わりにお礼をしておいて欲しいなぁ。
後始末も本当は自分でしたいとこだけど、死んでしまって叶わないから、申し訳ないが頼むわと。
故人に代わりまして御礼を申し上げます
って、本当だわと思えるようになりました。
父と関わってくれた人たちは、お互い知り合いなわけでなく、父との縁というものだけで集った、もう二度と同じメンバーが揃うことはないでしょう。
その風景を見ながら、悲しいけどなぜだか幸せだったのです。
あまり好きじゃなかった近所のオバさんにも、心からお礼が言えました。
そこにはもちろん義理っていうのもありますが、それでも人生の終わりを大勢の方から見送ってもらえたことは、とてもありがたく幸せなことだと思いました。
だから、遺族は忙しくていいんだ。
今日は秋晴れで穏やかです。こんな季節だったんだなぁ。
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