あの頃の親に近づいてきた
まだ10代、20代だった頃、家の中で、牛乳パックだとかいろんな物の開け口を無視し、おかしな開け方をしてある事象がしばしばありました。
「ここに切れ目が、ミシン目があるじゃん!」
と言っても、両親は笑うばかりでやはり無理矢理な所から開封する。
これだから昔の人は…と呆れていましたが、その謎が最近ようやくわかってきました。
老眼で見えない。
現在、私も長年の経験で、たぶんこの辺と思いながらも、新パッケージで変わっていたりして、無理矢理な開け方をしていることに気付きました。
力まかせに開けて飛び散らしたり。
先日もお風呂場でコンディショナーを容器に詰め替えようとして、開け口はokだったのに力の入れ方がおかしかったのか、必要以上に口が大きく開けてしまいました。それで、移し替えのときにドボドボと脇からこぼす…という大失態。
あー、もったいない。
段々とあの頃の親に近づいてきてます。
既に父が亡くなり、母も高次脳機能障害になり、かつて元気いっぱいだった「私にとっての大人たち」が老いて、支えられてやっと生きている…そんな感じになっています。
あんなに怖かった車屋のおじさんが痩せて弱音ばかりで、最近は寝込んでるとか、裏に住んでる口うるさいおばさんが、足が悪くなって姿が見えなくなったりとか、友だちのお母さんが認知症になったとか、歩けなくなったとか、亡くなったとか…
その姿を見る度、聞く度に淋しいような、自分が老いることがとても怖いような、気持ちが沈みそうになります。
いやいや、それでも皆んな50代〜75歳くらいまでは、旅行三昧、趣味三昧、仕事もそこそこで長いこと自由で楽しそうだったよね、と思い直して。
JRの大人の休日倶楽部を使うとお得だとか、毎月の旅行の計画や報告を聞かされ写真を見せられ、ダンスを習ってるとかジムに通ってるとか、シニア割がどーのとか…
うわの空で聞きながら、気楽でいいわねと思ったものだった。
人生を季節で表したら今は秋、それも初秋かなと思う。
これからも呆れるような失敗は増えると思うけど、先の事を考え過ぎて凹むよりも、あの頃の楽しそうな「私にとっての大人」たちをお手本に、気楽でいいわねの実りの秋となるようにしていかねばと思うのでした。
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