サッカーの試合のみを楽しみたい
普段はサッカーを観ない私でも、W杯は観てしまいます。
ドイツ戦の勝利は、うぉー!という感情より、ここまで来たんだ…みたいな感覚でした。50代ですからね。
W杯はいつから始まるの?とひとに聞いてみたり、今回はあまり盛り上がってないのかなと勝手に思っていたのは、新聞はやめたしテレビもあまりみないからかもしれません。
そして、ついでに最近知ったのが人権問題だとか同性愛禁止の件とかあったようで…またかと辟易してしまいました。
開催国の宗教や文化は開催前からわかっていたはずだし、だったら選ばなければよかったのでは?もしくは参加しなきゃ良いのでは?
自分らの文化と違うから合わせろというのは乱暴な気がします。
宗教の対立で戦争すらしてしまうのに。
人権問題をいうなら中国はどうすんだって話です。
多様性とは何かね?と思ったりします。
先週、次の予定の時間調整で少し離れた場所にある図書館へ寄りました。
タイトルは忘れてしまったのだけど、手にした本に日本人の宗教観について書かれていました。
日本人のほとんどが、「私は無宗教だ」と言うと。
宗教という言葉自体が明治以降に訳されたもので、ここでいう宗教というのは一神教のため、日本人にはピンとこない。それは日本には八百万の神がいるから。
宗教という道徳、人としての生き方を説いたものがなければ、普通の国は秩序がなくなるはず。それなのに日本はどうして何処よりも秩序のある暮らしをしているのか。
日本に国としての宗教があるとすれは「和」という宗教ではないか。
「十七条の憲法」第一条 和を持って尊しとなす
宗教のことよりも先ず最初に書かれている。
無自覚にそれを信仰しているんだと、まぁそんなような事が書かれていて、諸説ありの話ではありますが、ほうほうと読んでいたら時間となりました。
確かに…法律よりも何よりも、皆んながそうしているから…が一番の行動基準になっているような気がします。
一神教は神と個人との契約で、だから個人主義になるそうで、日本人は「和」という宗教だから同調圧力に逆らうのは厳しいものがあるかも。
コロナ禍が終わらないのも頷けます。
また、八百万の神がいるくらいだから、異教徒を
ふーん、そうなんだ。
くらいにしか思わないし、戒律が厳しいと
大変だね。◯◯教徒じゃなくてよかった。
としか思わないような。
で、興味深い行事等には形だけ乗っかり楽しむ。
だけど、こちらの日々の暮らしを脅かすような振る舞いや押し付けがあれば、
ふざけんな、帰れ。
と思うよなぁ。
そんなわけなので、
ふーん、大変だね(めんどくさっ)
と思いつつ、サッカーの試合のみを楽しみたいと思うのでした。
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